森博嗣について(臨機応変・変問自在)
こんにちは。
オンライン講座の採点をしている稲荷興心です。
最近少し間が空いてしまいましたが、ネタ切れ気味です。稲荷塾は数学専門塾ですが、日々数学の話題を思いつくかといえばそうでもありません(笑)。最近塾であった数学で悩んだ問題は以下のようなものでしたが、これは余りブログに適していません。
なので、今回も個人的な話を書きたいと思います。最近読み始めた本の話です。最近読み終わった本ではないので結論を知りませんが、結論が重要な本でもないので良いでしょう。
森博嗣はミステリ作家としてよく語られますが、著作が非常に多くエッセイや新書などもたくさんあります。この新書のいくつかを最近思い立って読んでみることにしました。そのうちの一つが今回紹介する「臨機応変・変問自在」です。「臨機応変・変問自在2」もあり、そちらも少し読みましたが、個人的には「臨機応変・変問自在」の方が良書だと感じました。
「臨機応変・変問自在」は工学部建築学科の助教授であった森博嗣が授業中に生徒から集めた質問について簡潔に答えるという構成で進みますが、序文にあたる部分が良かったので紹介しようというのが今回のブログのコンセプトです。いくつか抜粋してみたいと思います。
「臨機応変・変問自在」は著者が授業中に生徒から質問を集めた理由についてまとめた理由から始まります。高校生までは与えられた問題に答えることが重要視されているけれども、実は問題を作る行為はそれ以上に重要であるように感じるという内容となっています。具体的には以下の通りですが、問題を作る(見つける)ということが問題の解決の一歩目であることを考えると頷ける内容なのではないかと思います。
「人は、どう答えるかではなく、何を問うかで評価される。 (中略)会話の中で、議論の中で、何が不足しているのかを常に意識し、それを的確に把握して質問をする能力が重要であり、つまり問題を考える行為に集約される。したがって、本当に人の能力を観たいときには、何を答えるかではなく、何を問うか、を観るべきであって、現にそうした評価がなされている場合が多い。(中略)そうした解決のノウハウを積み重ねるうちに、問題を見出す力が生まれるともいえるが、まずは意識してものを問う姿勢が重要なファクタになるだろう。」
それを受けて、授業内で質問させるようにしたと以下のように述べています。
「そういったわけで、授業では質問させ、その質問の内容で学生を評価しよう、と考えた。問うことを義務付けることは幼稚なやり方ではあるけれど、訓練とはそもそも幼稚なものから始まるものだ。幼稚なことを繰り返し、経験を積み重ねるうちに、人は自然にノウハウを身につける、と期待したい。」
ここから少し内容が変わって、強制的に質問をさせることで生じたメリットについて触れています。個人的にはここが興味深く、そして納得できる部分でした。
「また、最初から「何か質問してやろう」という意気込みで講義を聴くことが、少なからず効果のあることだとわかった。(中略)結局のところ、教育とは、受け手に「学んでやろう」「吸収してやろう」といった積極性が存在しないかぎり、ほとんど無駄だと断言して良い。(中略)もし、教師にできることがあるとしたら、実に細やかな範囲ではあるが、学生にその「やる気」を出させることだけだ。(中略)その意味でも、教師からではなく学生からのアプローチへ、ベクトルを切り替えることは重要だ。(中略)質問することは、ユーザの当然の権利であり、質問から教育というサービスが始まるといっても良い。」
教えるということについて、実際にはもう少しできることはないのかと模索していきたいとは思いますが、実態としてはその通りだなと思います。疑問に思うことが生じ、理解できない部分を把握することが勉強の第一歩目であり、そういった部分については本人以外が関与できる部分ではないなと感じました。
実はまだこの本は序文しか読んでいないので(いくつかの質問と回答については眺めました)、最後まで読んでみることで印象が変わるかもしれませんが、序文だけでも十分面白かったです。質問に対する回答の仕方などについても言及があり、質問に答えるにあたって指針が与えられているのでそこだけでも一読の価値があるかもしれません(個人的には質問に対する答え方というよりも躱す方法について説明しているように感じたので、参考程度にしておくべきかなとも思いました)。また、オンライン講座については、参考書を読むときなどでわからない部分があれば質問できるようになっているので、そちらも積極的に活用してもらえればなと思っています。疑問に思った部分を解消していくことが知識の定着に繋がると感じているので、疑問を放置することなく勉強していくようにしましょう。
最後に、個人的に刺さった文を紹介しておきます。会話において、自分が伝えたいことを一方的に話すよりも、相手が理解できていない部分を理解しようとすることの方が学びに繋がるのではないかと思いました。
「自分が教育者に向いていると思ったことはただの一度もない。(中略)それが、現在、教壇に立つようになったわけだが、前述のように意外にも、教えることのうちの九割方は自分が学ぶことだと気づいて、わりと楽しめるかもしれないな、くらいには思い直せるようになった。逆に、人にものを教えたい人ほど、教育者には向いていないのでは、とさえ思う。」
読書感想文みたいな文章で、個人的な感想ばかりのブログになってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。また次のブログでは違った話題になればと思います。
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